ひとりごと

書きたくなったら書いてます

リリー

今年の夏は短い。

誰かがそう言っているのを聞いた。確かにそうだったかもしれない。まだ夏でもないのにものすごく暑かった日もあったし、もう夏なはずなのに雨が続いて憂鬱な気分になる日もあった。

 

最近よく考えてしまう。本当に楽しいのか、やりたいことなのか。いやそうだった。一年前の私だったら。だから今は違うのだろう。それにしっかりと気付いている自分がいることに戸惑っているのだ。

これは一時的なものでまた少したてば変わるかもしれない。変わるというより戻るというべきか。と、どんなことを言っても私が今楽しくないのもやりたいわけでもないというこの気持ちは事実なのであって。こんなこと予想できなかったなぁと自分で自分のことを不思議に思う。

 

 

人生には予想もつかないようなことが起きる。そんなドラマによくでてきそうなフレーズだが、やっとここまで生きてきて実感することになった。

 

結婚なんてできる気もしなかった自分にすごく自然でいられる居心地の良い彼氏ができることも、彼とはいずれ一緒に住もうと思っていたのに別れたことも、まだまだ元気だと思っていた祖母が亡くなったことも、実家を出たらほとんど帰らないだろうと思っていたら月一で帰ることも、楽しいと思ってやっていた仕事が楽しく感じなくなることも。

 

たぶん自分の考え方、思い込みで人生は輝いたりもするし濁ったりもする。何を幸せと捉えるか、これってすごく難しい。

 

2019年夏

 

 

 

 

あれから2年経って

 

最後にこのブログを更新してからもう2年が経っていた。

久しぶりに読んだ自分の文章であの時の記憶が蘇ってくる。

 

2年前の4月、私は大好きだった彼と別れた。

「出会って」を更新したわずか数週間後の出来事だった。

あの記事を書いたとき、確かに書いた通り彼の隣にいるのに怠けていられないと思っていた。けれど思っていただけだったのだと思う。結局何も行動は起こしていなかった。

今思えば、あの時は本気で私は彼が好きだったし、彼も私を好きで当たり前と心のどこかで安心しきっていたのだ。

 

引っ越して環境が変わった3月の末。お互いの家は前より断然近くなった。

私は実家を離れたし、いつでも彼と会えるようになったと気分は上がっていた。

でも彼は私と会おうとしなかった。

引っ越しも初めてで、ましてや彼以外友達も知り合いも住んでいないとなると何だか急に自由な生活と場所が孤独に感じるようになった。

 

 言ってしまえば、彼は一目惚れをしたらしい。

私はああそうですかと納得してしまうのが得意だった。

 

友達には結婚するかと思ってただの、まさか別れるなんて想像がつかないと言われていた私たちが別れるのは本当に一瞬で、そんな言葉何の意味ももたなくなった。

 

ここまで書いて久しぶりにあの時を思い出して涙が溢れてきた。

私にはあまりに重くて大きい出来事だった。

 

彼は優しすぎる人だった。

何となく前と違うような気がすると異変は感じていたものの

ラインの文面はあまり変わらず絵文字付きの可愛い雰囲気のままだった。

 

明日、もしかしたら彼から別れを告げられるのではないかと思うとそれだけで涙が止まらないほどでできて眠れなかった。

 

想像した通りだった。どうしてこうも女の勘とかいうものは予想を裏切らないほどにあたるのだろう。予想していた通りすぎて、昨日の夜泣きすぎたせいなのか、それともただただ彼への最後の強がりなのかわからないが涙は不思議と出てこなかった。それ以上に彼が泣いていたからかもしれない。なんでお前が泣くんだよ、泣きたいのはこっちだわあほ!

 

いたって冷静に理由を聞き、引き止めるようなこともせず私は納得した。

本当にそれならしょうがないかと思った。

そして彼に聞いてみた。私がどうすると思った?と。

答えが本当に私そのもので最後まで彼は私をよく知っているなぁと感動し悲しくなった。

一生懸命自分で自分を正当化しようとした。

自分を好きでいてくれない人といたって幸せになれないんだからこれで良いのだと。

最後にハグしても良いかと言って私は思いっきり抱きしめて大好きな彼の首筋の匂いを吸い込んだ。彼は以前とは違って遠慮がちに、申し訳なさそうに、背中にそっと手を置くだけだった。それに私は虚しくて堪えられなかった。

一人になって嗚咽がでるほど泣いた。人生であんなに泣いたのは初めてだった。こんなときでも「俳優の泣く演技ってわざとらしいよなと思っていたけれど私もこんな風に泣くのか」と思ってしまう自分が嫌だった。

 

彼に振られた、別れたという今起きたことが悲しくて泣いたのではなかった。

もう彼と手を繋ぐことも、ハグすることも、キスすることも、たぶん助手席に乗ることもない。一緒に住んだらこたつは絶対買おうね、と話して想像した未来がないことが尋常なくしんどかった。

 

 

私は彼を知らなかった。

ずっと自分を見つめていただけだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

出会って

わたしは彼と出会って変わった。こんな一文はありきたりだとは思う。けれど自分にはどこか関係ないのではないかと思っていた。出会ってというより彼と友達になって、というほうが正しいかもしれない。

彼と友達になったのは大きなきっかけがあった。それは友達にならざるを得ないというか、顔見知りだった何人かが急激に距離を縮めるというよりその特別な環境によって縮められた、というような出会いだった。

本当にこの機会があるまでは私と彼はただの顔見知りだった。挨拶はしたかもしれないし多少話したことはある。それぐらいで特にどう呼んだらいいのかもわからないぐらいの関係だった。

しかしこのきっかけによって私たちはとても短い期間でお互いのことをよく知るようになる。今まで通りの日常ではあり得ないほどの会話を交わして濃い時間を過ごすのだ。

そのうち私と彼は気付きだす。

「こんなに似てる人と会ったことない」と。

価値観というか物事の考え方というかなにかそのものがすごく似ていると思った。それはどちらか一方ではなく2人でそう思ったのだ。

何故だか私は彼の第一印象を覚えている。それはきっかけが起こるよりずっと前で何故覚えているのか自分自身でもわからないほどだ。堅いな〜〜と思った。優しくて良い人そうだと思った。顔も良かったけれどタイプではないし恋愛感情はなかった。

 

自分と似ている人とか居心地の良い人より自分では絶対やらないようなことをしていたり、できないことができたりそんな真逆な人に人って尊敬したり憧れて惹かれるんだろうね。

そう彼に話していた。

 

そんな私と彼は付き合うことになる。

 

確かにそのときはまだ彼を異性として好きじゃなかったのかもしれない。でもそんなことを堂々と言っておきながら、何故私は彼と付き合ったのだろう。

結局考えたところでそんなの未だにわからない。ただ自分をわかってほしかったのかもしれない。ただ認めてほしくて愛してほしかったのかもしれない。そんなときに彼が好きだと言ってくれたかもしれない。けれどそんな理由を探す前にわたしはもう彼のことが好きだった。

 

彼と付き合って1年と少し経った。

 

彼と一緒にいるととても楽で取り繕う必要もなく素でいられ、落ち着き安心する。そしてとても楽しい。お互いに感情的なわけではなく少し理性が強いところも同じだと思った。

何より好みも似ているし考えていることも。同じタイミングで同じことを言ったり、曲が流れているときに急に歌いだす部分も揃った。まるで自分といるみたいと思うこともあった。

しかし彼のことは尊敬している。わたしと似ていると思うことは多いけれど、わたしより彼はずっと冷静だし、何より笑顔がもう羨ましく憧れるほど素敵で。わたしよりとてもかわいらしい人。

だから彼のとなりにいることに怠けられないと思う。わたしは彼には敵わない。負けていることを承知でとなりにいたい。そのためには彼のまわりには勝たなければいけない。日々違う選択肢がある中でわたしを選び続けてもらわなければいけない。そう思うとこのままではなく常にバージョンアップしなくてはいけないのだ。それは大変なことだが、そんなわたしを変える原動力となる彼に感謝している。

 

今でもわたしはあのとき言った言葉と行動の矛盾に答えは出ないけれど、たぶん彼はもうそんなこと忘れているかもしれないね。

最近友人に聞いた。お互いに好き!好き!付き合おう!となるのは珍しいらしい。それならもうその時点で笑っちゃうぐらい幸せだ。

それに何かとSNSでは付き合う前の両思いかなあぐらいのときが一番楽しいんだってみた。そんなの嘘だ。付き合ってからのが何倍も楽しいに決まってる。

 

付き合ってからが腕の見せどころ。

選んでもらったからって調子に乗ってあぐらをかいてたら誰かのものになっちゃうかもよ。それぐらい君は素敵な人と付き合ってるんじゃないの?

わたしはそれだけ素敵な人と付き合ってる。

 

好きかどうか、そういうことじゃない。

 

好きなの?と言われればきっと好きだよ。と答えるだろうし、だけどそれは異性として?と訊かれると素直にうん。とは答えられない。なんなんだろうこの気持ち。好きかどうかとかそういうことじゃない。好きなの?って訊いてきた友達に、自分に、そう言いたい気分だ。人間的に好きなのであって恋愛対象として好きなわけではない、人はいっぱい他にもいる。まあ大体好きな人ばかりで生理的に受け付けない嫌いな人という人はいないんだけど。彼も人間的に好きな人、の部類に入っているのは間違いないし、私が最初に好きだと言ったのもそういう意味の好きで間違いない。けれどその大多数の人と同じ関心度なのか?と訊かれると自信を持ってそうだとは答えられない。そんなことから私はきっと彼を人間的に好きな人、の部類のなかではいわば一軍に入ってるんだと思う。けれど、恋愛対象として好きだと確信できないのはなぜだろう。私のなかでの理由はこうだ。友達に私ね、彼のこと好きなんだ。と言えるかどうかだ。

今まで特に意識したことはなかったけれど、今日彼の話を聞いていてまじまじと実感した。自分にない魅力を持っている人に人は惹かれるし魅了されるのだと。自分と同じ経験をして同じ感想を持っている人と一緒に居ると共感はできるだろうし楽だとは思う。けれど分は経験したこともないことだったり、経験しようともしてなかったことを経験したことがある人、とても惹かれる。

私は人前で話すのが苦手だから、堂々と緊張せずに話せる人や人を惹きつける話し方をする人に惹かれるわけである。それだけでなく誰にでも気軽に話しかけられる人、ものすごく素直な人…たくさんある。自分にはないからこそ他人のそういった部分がとても魅力的に見える。それはただの羨ましがりなのかもしれないが。きっとそういうことだ、人に魅了されるって。

私はこうとも思う、その人を好きだと思うのは全て勘違いなのではないか。好きな人がいる人はみんな勘違いしている。この勘違いとは全くの事実と関係ない、ということではない。その人の思い込みという意味で使っている。私の友人で人生で一度も人を好きになったことがない、という子がいる。私はその子をみていて、あれ?この子もしかしてあの人のことが好きなんじゃないの?と勝手に思ってしまうことがある。私が思うにきっと彼女は人を好きになったことはある。けれど気づいていないのだ。楽しそうに彼の話をしてきたり顔を赤らめてみたりしているのに。本当は薄っすらとは気づいているのかもしれない、でもそれを見ないように避けて通って気づかないようにしてきたのだろう。傷つくのがこわい、私も同じだった。彼女と違って私には常に好きな人がいたけれど何もしなかったし起こらなかった。傷つくのがこわくて必要以上に自分を守りすぎていた。そのせいで悲しいくらいに普通だった。悲しいくらい平和で平凡な毎日だった。私は今必死にその壁を壊そうとしている。それに対して彼女はまだ壁を壊そうともせず高くて閉塞的な壁に囲まれたなかで時々上を向いて何を待っているようだ。外から見れば何も変わらない、考えていても動かなければ何も変わらないのに。 

私はさっきからものすごく長い間彼のことを考えているけれど、ふと私のことをこんなにも長い間考えて悩んでくれる人はいるのだろうか。そう思うと、きっといないだろうとかなしくなった。

 

 

 

将来

最近将来について考えない日はない。

…さっきまでパソコンで1時間ぐらいブログ書いてて終わって投稿しようってときに不具合で勝手に再起動され全部パー。でもどうしても書きたかったし今の自分を将来の自分にわかってほしいからiPhoneで書く。

 

就活なんてまだ先なのに、と書いてそうでもないなと思う自分。周りの環境に本当に影響される。みんなはどこで働きたいのか、何をしたいのか、結婚はいつ頃したいのか…ちゃんと考えててどんどん具体的になってる。(まあみんなそう見えて意外と見栄張ってるだけかもしれないけど)それに対して私は目の前の検定や資格にばかりで全然先をみてない気がする。だから今日はパソコン開いてひたすら調べていた。

↓そのときにこのページを見つけた。

 http://www.brightonhotels.co.jp/urayasu/journal/

こんな素敵な文章を書けたらいいなと思った。でも違う私はお客様にサービスする側になるという夢をみつけて今日まで進んできた。好きなことを仕事にしようと思って選んだのに、最近は給料が少なくて理想の生活を送れないと思ったりする瞬間がある。どんどん焦りが迫ってくる。私が今一番やりたいことは何だろう、四年後どうしているだろう、そう考え始めるとキリがないのだけれど。

 

でも私は今そのぐるぐるの中にいる 

 

 

 

夏のはじまりは暑くてだるくてなんとなく嫌なのに、夏の終わりは不安で寂しくて哀しい。

1番すきな季節は何?と聞かれ、私は「夏」とは言わないタイプの人間なのだが。

夏は不思議だ。

もう秋だというのに。

夏のことばかり思い出したりして。