ひとりごと

書きたくなったら書いてます

好きかどうか、そういうことじゃない。

 

好きなの?と言われればきっと好きだよ。と答えるだろうし、だけどそれは異性として?と訊かれると素直にうん。とは答えられない。なんなんだろうこの気持ち。好きかどうかとかそういうことじゃない。好きなの?って訊いてきた友達に、自分に、そう言いたい気分だ。人間的に好きなのであって恋愛対象として好きなわけではない、人はいっぱい他にもいる。まあ大体好きな人ばかりで生理的に受け付けない嫌いな人という人はいないんだけど。彼も人間的に好きな人、の部類に入っているのは間違いないし、私が最初に好きだと言ったのもそういう意味の好きで間違いない。けれどその大多数の人と同じ関心度なのか?と訊かれると自信を持ってそうだとは答えられない。そんなことから私はきっと彼を人間的に好きな人、の部類のなかではいわば一軍に入ってるんだと思う。けれど、恋愛対象として好きだと確信できないのはなぜだろう。私のなかでの理由はこうだ。友達に私ね、彼のこと好きなんだ。と言えるかどうかだ。

今まで特に意識したことはなかったけれど、今日彼の話を聞いていてまじまじと実感した。自分にない魅力を持っている人に人は惹かれるし魅了されるのだと。自分と同じ経験をして同じ感想を持っている人と一緒に居ると共感はできるだろうし楽だとは思う。けれど分は経験したこともないことだったり、経験しようともしてなかったことを経験したことがある人、とても惹かれる。

私は人前で話すのが苦手だから、堂々と緊張せずに話せる人や人を惹きつける話し方をする人に惹かれるわけである。それだけでなく誰にでも気軽に話しかけられる人、ものすごく素直な人…たくさんある。自分にはないからこそ他人のそういった部分がとても魅力的に見える。それはただの羨ましがりなのかもしれないが。きっとそういうことだ、人に魅了されるって。

私はこうとも思う、その人を好きだと思うのは全て勘違いなのではないか。好きな人がいる人はみんな勘違いしている。この勘違いとは全くの事実と関係ない、ということではない。その人の思い込みという意味で使っている。私の友人で人生で一度も人を好きになったことがない、という子がいる。私はその子をみていて、あれ?この子もしかしてあの人のことが好きなんじゃないの?と勝手に思ってしまうことがある。私が思うにきっと彼女は人を好きになったことはある。けれど気づいていないのだ。楽しそうに彼の話をしてきたり顔を赤らめてみたりしているのに。本当は薄っすらとは気づいているのかもしれない、でもそれを見ないように避けて通って気づかないようにしてきたのだろう。傷つくのがこわい、私も同じだった。彼女と違って私には常に好きな人がいたけれど何もしなかったし起こらなかった。傷つくのがこわくて必要以上に自分を守りすぎていた。そのせいで悲しいくらいに普通だった。悲しいくらい平和で平凡な毎日だった。私は今必死にその壁を壊そうとしている。それに対して彼女はまだ壁を壊そうともせず高くて閉塞的な壁に囲まれたなかで時々上を向いて何を待っているようだ。外から見れば何も変わらない、考えていても動かなければ何も変わらないのに。 

私はさっきからものすごく長い間彼のことを考えているけれど、ふと私のことをこんなにも長い間考えて悩んでくれる人はいるのだろうか。そう思うと、きっといないだろうとかなしくなった。